現在のメンタル

医者に診断書をもらうにあたって病名を知りました。双極性障害と不眠だそうで…ちょっと前までは診断なんて勝手に名前つけただけで自分はそんなことないし、症状に当てはまるけどそれはドラッグのやりすぎて頭おかしくなったからだ、ってどこかで否定してました。自分が障害を抱えているって意外と認めたくないものです。

医者が薬出すからそんなふうになるんだ!とか薬の副作用だ!離脱だ!ってとことん医者を信用してませんでした。引越しを機に薬がバカみたいに多かった病院から行動療法メインの病院に転院しました。めちゃくちゃ薬が減りました。

こんな量で生きていけるわけないやろ!アホか!

と思いましたが、意外と生きてます。周りの人の力添えありきなので本当に周りの方々には感謝してもしきれないですね。

以前は薬漬けで朝起きられず二度寝してしまって欠勤、そんなだから自由出勤の風俗で働いたりしてましたが、結局自由出勤でも普通のシフト制でも行かないもんは行かないです。環境が悪いよ〜!って弁解する人の気持ちもわかりますが、結局のところ自分がやるかやらないかです(当たり前だけど)。

どこからが「仕事に行かない」ではなく「仕事に行けない」になるのか。

そのボーダーラインは今になってもわかりません。行きたくない理由が体の不調なら仕方ないですが、心の調子が悪い時。でも普通の人だって行きたくない仕事行ってるよね。毎日ゴロゴロして暮らしたいよね。心の調子が悪くて仕事に行けないなんて言ってられないよ。でもやっぱり仕事に行こうとすると心が全力で拒んでくるんだよね。

そんな感じで仕事に行けない日が続き、その度に自己嫌悪に陥り、その悪循環をしばらく繰り返しました。仕事も長く続かなくて転々としてました。

今の会社では、「勤怠は自分しか管理できないから気をつけてね」と言われた際に、隠して休むのも限界かな〜ってことで精神的に患っているものを告白しました。なんか、めっちゃあっけなかったです。あ〜そうなんだ〜、一週間単位で仕事の内容が変わるからダメな週は無理しないで一週間まるまる休みなよ。職場の人も飲みいこって言ったら多分みんな話聞いてくれるよ!みたいな。

どんだけ理解あるねん!!!!

そのおかげで今はなんとか昼の仕事に行っています。今日もこれから出勤です。カミングアウトで後ろめたさとか罪悪感がなくなったぶん、調子が悪かったら休めるという心の余裕もでき、以前より仕事に行けてます。ありがてえ。やっぱり行きたくないしゴロゴロしてたいけど、お金ほしいので元気に労働します。。。

あ、あと、お金があると精神的にめちゃくちゃゆとりができます。

自分で稼ぐのが厳しい!ちょっと助けが必要!って人は、障害者年金なり生活保護なりでゆとりを作ってみるのがいいと思います。そんなに金銭面に余裕ができるわけじゃないけど、手っ取り早く気持ちに余裕ができます(申請が通るまでが一番ひもじいし周りの人の協力は不可欠だと思いますが)。

私は生活保護を受けている人に偏見はなくとも生活保護というシステムに若干偏見がある人間なので障害者年金を受けつつ働いてます。それなりに働けても生活保護みたいに一ヶ月の上限額が決まっているわけじゃないので、結構な金銭的ゆとりになります。おすすめ。ただ、診断書を作成する医者は選ばないと申請通らないです。薬をばかばか出してくれるテキトーなお医者さんに年金の話をすることをおすすめします。もしくは社会復帰を前向きに考えてくれる親切なお医者さんに年金受けながらでも働きたいんです!って言おう。

あ〜〜〜〜仕事いきたくね〜〜〜〜〜!!!!!!!!

 

保護室入院まじでつらい

前回ODの話をちらっとしたかと思いますが。一度実家でODし、救急車で搬送され、そのまま保護室で薬抜きをされたことがあるのです。何年前か忘れましたがあれは確か正月あけてすぐのことでした。

最初は酒と眠剤を飲んでラリパッパして遊んでたんです。実家にいるのにそれで楽しくなっちゃって、気づいたら一か月分の眠剤フルで飲んでました。当時トリプタノールを結構がぶがぶ飲んでたのでそれが一番やばかったんだと思います。

ODして眠って目を開けたら、知らない天井で、知らない人が私の顔を覗き込んでました。「あ、起きたね」その人のその言葉を聞くと同時にまた意識を失いました。そんな漫画みたいな話ある?って思うけど実話。聞くところによるとそれは地元で救急搬送された病院の医者だったらしいです。

本格的に目が覚めた時、あ~実家でやらかしたなって思いました。腕、腹、脚をベッドにバンドで固定された状態で、尿道にはカテーテル、下着はなくオムツ、腕にはめちゃくちゃな数のぶっとい針が刺さってました。なんやこれ~ってなりました。これをやらかす一か月くらい前にも一人で同じことをしたんですが、その時は眠って三日目で尿意で目覚めました。なのでなんであれくらいで救急車呼んだんって今でも思います。親曰く、昼頃になって起きろと声をかけても目覚めなかったし反応もなかった。全身の力が抜けていて眠剤がなくなっていたから全部飲んだんだと思って慌てて救急車を呼んだ。とのことでしたが、まあそれが普通でありがたい対応だったんでしょうけども、私は構ってほしくなくてやったのに…ってなりました。

 

愚痴はこのへんにして…

結論から言うと保護室での入院は地獄でした。最初の一週間くらいは手足腹を拘束され、トイレにも行けず、ご飯も食べられず点滴で栄養を取りながら血液洗浄っぽいことをされてました。

それが終わったら腹と脚が自由になり、トイレに自分で行けるようになりました。ただ、やっぱり拘束されていたので、トイレに行きたい時は隣のナースステーションに向かって全力ですみませーーーんを言わなければ動けなかったです。トイレの時だけ全身が自由、腕は常にゴムの伸び縮みする拘束具をつけられてました。

ベッドと和式便所しかなくて携帯も本もないテレビもない部屋に一人で拘束されて、あの時ばかりはほんとうにODしなきゃよかったと思いました。

 

あとここで初めてシャブをやってたことが親にばれて(うすうす感づいてたとは思う)面会室で泣かれ、面倒なことになったなってなりました…医者の情報網ってすごいんですね。なんでもメールでやりとりできる時代。

 

薬を多く飲んだって私は死んでないし、いつもどおり用法用量守ればいいんでしょ!って思って頑なに医者や看護師さんと話すことを拒み、以前の病院でまた治療を受けるということでなんとか退院。まったく反省してませんでした。

 

退院した後がまた地獄。

すぐ札幌に戻るなんて親が許すはずもなく、三ヶ月ほど実家でおとなしくしていましたが、卒業したと思っていた実家暮らしがいやでいやでしょうがなくて、援交したりしてなんとかお金を貯めて、三万くらいしか持たずに家を飛び出しました。もちろん親には昼の仕事が決まって寮に入れると嘘をつきました。

事情を話し、風俗店の寮に入れてもらい、1日12時間労働、帰宅即就寝、という生活をしていました。死ぬかと思った。ストレスかもわからないけど何を食べても吐くし、水飲むので精一杯。あんなに頬がこけたことはない。この時が一番変な方向に頑張ってたと思います。

この間元カノもまた自殺未遂で入院していて、私は何通も手紙を送り、メールし、なんとかくっついていました。今はそこで別れておけよ〜〜〜!って思います。

 

入院で特に覚えてるのはこれくらいです。

とにかく、保護室はもう二度と行きたくない。という話でした。

病みかわいいから精神病患者に

病みかわいい~まじ病む~構って~死にたい~リスカしちゃうぞ~ODしちゃうぞ~

って一年くらい続けると本当の精神病患者になります。なりました。

#病みかわいい

で検索するといろいろ勘違いした人がたくさん出てくるので暇つぶしにおすすめです。

 

さて精神病の話ですが、五年ほどいろいろ患ってることになります。最初はドラッグのやりすぎで頭おかしくなったんだと思ってました。実際それで今も頭がおかしいのかもしれません。

最初はドラッグの切れ目を緩和するためにネットで調べて薬をもらいに行ってました。薬を抜くときしか飲まなかったし、医者の言う事なんて聞いたことなかった。聞かなくてもなんとかなってたので。

目の前であ、やばいって思ったのは元カノを見てるときでした。

薬の切れ目になると泣き始めて腕を切り、リスカなんてかわいいもんじゃなくて縫合レベルの傷を見せられ、ODした暁に私が病院に担ぎ込む。そういう生活を半年くらいした後、彼女は入院しました。そんで私もおかしくなりました。彼女のせいだと言う気はないですが、身近でそういう光景を見てるとやっぱり引っ張られる部分はあったとは思います。

私がするのはリスカではなくODがメインで(痛いのは嫌いなため)、ラリったあとに二日くらい眠ることが多かったです。一番長く眠っても三日くらいで後遺症とかは特にないです。決して勧めてないよ。

こんなん書いても信じられんと思うと思いますが、ODしてた理由って死にたくてやってたわけじゃなくて、現実逃避をしたかったんですよね。あと合法でお金かけずにラリりたかったのもある。仕事とか人間関係めんどうになってリセットしたいな~って時によくODしてたと思います。

Twitterとか見ると▲▲を何錠ODした!とかありますが、ODしても効果がない薬でそういうのやってる人を見るとちょっと笑っちゃいます。いやその薬飲んでもどうにもならんでしょ?そんな量でODって言うの?致死量とか見た?それなんの薬か知ってる?って煽りたくなります。私はODしたらトぶ薬とか種類とか量とか、事細かく調べてから医者に▲▲どれくらいくださいって薬をもらう計画的犯行だったので…

 

一度実家でODするというバカをやらかし、救急車を呼ばれた後はもうODしてません。その時もいつもと同じで人間関係も家族もめんどくせ~!ってなったときだったので、なんで救急車呼んだんだよって今でも思います。ODした、しかも実家でやった私が悪いんですが。入院した時の話はまた次の記事に書きます。

 

この記事をもって言いたいのは、かまってほしくてメンヘラごっこしてたらいつか本当にやばくなってどうしようもなくなるよってことです。ごっこで済んでるうちにやめることをおすすめします。薬とか、下手にいろんなのガバガバ飲んでると離脱が起きたり耐性がついて必要なときに効かなくなったり、ほんとにその薬なしだと生活できなくなったりとかするので。人によって差はあるだろうけど。

 メンヘラごっこしてていいのは十代でかわいいな~って構ってもらえるうちだけにしとけ若者~!痛々しくなるよ~!

シャブの体験談

良い子も悪い子も真似してはいけない体験談。

腹のど真ん中に漢字一文字のだっさいタトゥーを入れた元構成員のおっさんがシャブをわが家に持ち込みました。

さすがに抵抗あった。炙りじゃないししょっぱなから注射器だし。え、まじか脱法と大麻の次はシャブか。え、まじか~~~と思いつつ、なぜか打っていました。(このおっさんが来る前に大麻も経験しました。自分にとってはつまらなかったので書くことないです)

もちろん初見だしポンプなんて使えないしシャブなんて見たことなかった。あ、人間やめるやつ?って感じ。

シャブのこと冷たいのとかアイスとかっていうんですけど、全然冷たくないしラッシュはむしろ熱い。喉から頭に熱いのがひゅって走り抜ける感じ。速いやつってこのことかあ。って感じです。

 

ここからまた一年くらいシャブにはまります。

今はもうやめました。やめてるので言えますが、やめる時そんなに苦労しないです。

値段が高い注射器は扱いづらいリスク高い切れ目やばい。

しかもこの売人のおっさんが捕まってチクられて元カノの家に警察来ました。散々ヤクザの仁義たるものを語ってたのに義理も人情もねえ~~~~~~!!!!!!このおっさん、今はどっかの刑務所にいます。もう二度と会いたくない。

 

有り金つぎ込んでいろんな売人と知り合って元カノと包丁取り出して死にかけたり、服に火をつけられたりするタイプの喧嘩したり、切れ目最悪なのはやっぱりシャブですね。元カノの家の壁に穴開けてガラスのコップぶち割って血まみれにして喧嘩別れもしたことあります。やめといたほうがいいよ。

寝ず食わずで続けざまにすることが多かったので、切れ目はよく意識失って廊下でぶっ倒れてました。気づいたら倒れてる。まじで。五分おきに二回くらいぶっ倒れてやばいときは死ぬかと思いました。いつ死んでもおかしくない。

目の前でてんかん起こされるの本当に怖い。寝不足続き・薬の打ちすぎでてんかん起こすことがよくあります。突然意識なくなって歯を食いしばりながら痙攣して息してない、ああああしぬこれ!やばい!こいつ死ぬ!ってなります。てんかん起こしたときの対処法は、とりあえず舌を噛まないように口をこじ開けてタオルにくるんだ割りばしとかを噛ませることらしいです。指突っ込んだら爪がうっ血したので指はおすすめしませんが、パニックになると割りばしとか言ってられないんだな~てんかんはほっといたら確率で死ぬらしいです。

 

値段が高い、といいますが

0.3グラム(二回分くらい)で一万五千円

0.5グラム(三~四回くらい)で二万五千円

1グラム(そこそこ遊べる)で三万五千円

くらいが札幌では相場です。

バカみたいな価格設定ですよね~~~そして注射器は多くの売人が別売りなので、原価10円のシリンジ(注射器)を1000円で買わされたりします。私みたいに血管が細くて見えづらいと当然打てる確率が低くなります。なのでシリンジ代が馬鹿みたいにかかる。一回使い古したシリンジずっと使ってたら腕から抜くときに90度に曲がって出てきてほんとに怖かったです。針もげなくてよかった…

芸能人とかだと、秘密保持料という謎のプラス料金が発生して1グラム10万とかになるらしいです。しかも大概リークされて捕まる。A〇KAとか。(彼は覚せい剤ではなく馬の交尾などに使う強心剤のアンナカだと言い張ってましたが、アンナカは合法なのであんなに騒がれることはないです。ちなみにアンナカ打っても何も起こらないよ)

 

よく覚せい剤だめだよ!ってサイトで幻覚、幻聴がひどいっていう切れ目の話があるかと思いますが、私はそんなんなかったです。悪いほうに勘ぐって音が気になったりすること、あとは腕の毛の一本一本が針に見えてひたすら腕をえぐったりすることが多かったです。十分怖いし頭いってますね。警察にパクられた売人は小さい小人が見えるとか言ってましたが、他の人には見えないし私にも見えなかったのでなんだこいつ感すごかったです。虫が這うとかいいますがそんなんなったら確実にトラウマだしやばいですよね。虫関係の切れ目なくてよかった。

 

やせ薬ってまじ?ほんとに痩せるのか?って話ですが、痩せません。そりゃ打ちまくってる間は食べないし寝ないので痩せて頬がこけたりしますし体重も落ちますが、一度寝て抜いてしまえばお腹はすくし普通にがぶがぶ食います。リバウンドと拒食の繰り返しですね。ずっとキマった状態でいるならいいですが、今の世の中そんなことができるのは売人と売人のツレだけだそうです。売人とは関わらないようにしましょう。

 

掲示板などで知り合う売人だと詐欺も結構多いです。一度ただの注射器を三万越えで買わされたりしました。要するにモノ入れないで詐欺やってるんですね。でも、自分がシャブを買おうとしたなんて警察に言えない…自分まで捕まってしまう…という状況になるので通報もできず、泣き寝入りすることが多いです。私は騙した人の情報を警察にしかと伝えましたが。

 

警察が来た時の話。私は実家に帰っていて、電話で呼び出しを食らっただけなので現場にはいませんでした。

元ヤクザのおっさんがチクったことから、家にいきなりマルボウが来たらしいです。ふつうはマトリなんですが。呼び出し食らって署に赴いたら刑事部長とかいうえらいお兄さんに事情聴取されました。警察にお世話になるようなことはこれが最後でしたが、取り調べって本当に存在するんですね。

携帯を取り上げられ、中身を調べられ、一言一句間違いがないように聴取される。パソコンで刑事さんが文字を打ちながら被疑者が供述する形になるので、パソコンに疎い刑事さんが担当だったりすると取り調べにめっちゃ時間かかります。スムーズにいっても四時間かかった。結果、肝心の尿検査から何も出なかったので無罪放免。

最後に打ってから三日くらいしかたっていなかったので危ないな~と思ったんですが、あとあと病院で検査したら一年くらい打ってないという結果が出ました。私は何を打ってたんだろう。

 

そんなこんなでシャブを抜け出し、現在に至ります。


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きらきらひかる


よろしくお願いします。

そして、精神科へ

脱法ハーブにはまって一年くらい。

とうとう切れ目がやばくなってきました。

鬱になって泣きわめいたり、イライラしたり、眠れなくなったり。

そんな時に精神科で睡眠薬とか、抗不安薬をもらい始めました。

 

当時の彼女がもともと育児放棄されてメンヘラちっくだった&私も病みかわみたいな感じだったので、

二人そろって精神科にかかり、睡眠薬向精神薬のお漬物になりました。

ハーブやって切れ目になったら寝て起きたらご飯を食べてハーブやって、そのエンドレスループをしてました。

そんな環境だったので病んだり頭おかしくなったりするのは当たり前。

泣きわめいて腕を切る彼女を病院までおぶったり、殴り合いをしたり、起きたら部屋が血まみれだったり、とにかくもういろいろ限界でした。

 

そこで通っていた精神科で、同じくハーブやって頭おかしくなった人と出会いました。

きっかけはなんだったのかわからないけど、彼女が知り合いとハーブ吸ってる!お前も来なよ!って誘ったことからだったと思います。

そこで出会った人の家に入り浸りになり、ハーブ合宿が始まりました。

 

まずみんなご飯を食べない。ケミ系は吸ってるとお腹すかない。ひたすら煙を吸ってる。

そんで寝ない。私と彼女と友人カップル、合わせて四人でひきこもってましたが、誰も寝ない。

みんな眠剤もらってるのに誰も飲まない。切れ目の鬱予防に落とす薬は飲むけど。

吸って、しゃべって、笑って、なくなったらまた買いに行って、そんなことを一週間やり続けてたら五キロ痩せました。当時は今と違って痩せていたので本当にカリカリになりました。戻りたい。

みんなで筋トレしたり誰が息を長く止められるかやったり、どうしたら一度に大量に吸えるのか検証したり、ボングとパイプとガラパイと煙管と煙草、どれが一番吸いやすいか試したり、なかなか知的なことをしていました。

(ボングが一番マイルドで吸いやすくてキマリもよかった気がする)

その友人カップルは今は更生して闘病してるはず。

 

その次に知り合ったのは元ヤクザのおっさん。

彼女が家に突然知らない人を連れてきたと思ったら、その人はおもむろに覚せい剤を取り出しましたとさ。

つづく。

あの頃はよかったよね

脱法ハーブについて書きたいことが多すぎてまとまらないよ。

この記事では当時のハーブ事情について書くよ。

 あと懐かしの銘柄とか。

 

当時の札幌ハーブ屋事情

電話一本でハーブをデリバリーしてくれて、

デリバリー対応外の時間なら狸小路一丁目の山岡家の奥にある店に行けばいい。

今でもその山岡家の近くに行くと思い出します。

 

昔本物の違法ドラッグ屋さんだった店の上の階にお気に入りだったハーブ屋さんはありました。

規制が厳しくなって摘発されるまで札幌で一番でかいところだったと思います。

ぼろい建物の階段を上がって、服屋さんの前を通り過ぎて、ギター屋さんの前も通り過ぎて、

二階の一番つきあたり。

キ〇グって店です。

 

異臭漂う店内に置かれた銀色のパッケージ。いかにもやばそうな色合いのパッケージ。なんか壁にかかってるダーツ。商品を選んでるおっさんとか兄ちゃんとか。よりどりみどりでした。

ちなみに店員さんはめっちゃ怖いです。

スキンヘッドでサングラスを常にかけてて無言でお金と商品を交換する。何かしゃべったかと思えば客にもため口。奥にはひょろい眼鏡のバイトくん。あと無駄に愛想がいいデブ。

 

いかにもやばい店でした。

 

ハーブは主に二種類

脱法ドラッグはざっくり分けるとケミカル系とナチュラル系に分かれます。

ケミカルはだいたいアッパーでナチュラルはダウナー。

主に私たちが吸っていたのはケミカル系、中でもシャブに似せて作られたシャキ系のものでした。

(吸うとシャキっと目が覚める的な意味だと思う)

アッパー系はしゃきっと目が覚めて(ような気がして)、お喋りとか楽しくて、まあ覚せい剤みたいな感じ。

ダウナーは頭がぐわんぐわんして、体感時間が遅れる感じです。

話しかけられても頭が回らなくて返答に一分以上かかるとか、ザラでした。

でもお互いその状態だからまあ許せますが。

 

やばいと思った銘柄

金に物を言わせて(親の金)、吸ったことない銘柄があったらすぐ手を出しました。

一番やばかったのは「田中Z」とかいうクソみたいな名前のやつ。

家でハーブを吸うのに飽きて安いラブホでキメたときでした。

いかにもなネオンピンクの照明がついた部屋で吸ったんですが、

ほんとうに目の前がレインボーに輝き始めた。

立って吸った方がキマるんじゃね?とかいう迷信のもとに立って吸ったんですが、思わずベッドに倒れこみました。

やばかったです。ほんとにやばかった。

酔っぱらうとかそういうのじゃないんです。

なんていうか視界がぱって明るくなって、七色に輝き初めて、自分が何なのかわからなくなりました。

ほんとにやばい成分だったらしくすぐ規制されたので、それを吸ったのは一度きりです。

田中シリーズはほんとにすごかったし、違法ドラッグさえ超すと思います。

  

どんだけ吸ってもキマらない、イカくさい「スパイラル」という銘柄にもなぜかはまりました。

始めて半年くらいかな。

もうとにかくめっちゃくせえ。多分今でも嗅いだらわかる。

イカくさいのをいぶした感じで、なんかわかんないけどめっちゃくさい。

このころはもう脱法ドラッグの時代はピークを越えて、ケミ系はほぼ規制が入り残りはダウナー。

ケミ系で売ってるものはスパイラルくらいでした。

 

 

あとはダウナーですが、「鯉」とか「鬼」とか和名のやつはとんでもねえ強力なダウナーでした。

寝落ち待ったなし。コスパ◎。嫌いだったけど。

 

世代

おもしろいことに脱法ドラッグって、同じ銘柄でも世代があるんです。

最初に出されるのが初代なんですが、

規制が入って脱法じゃなくなるたびに名前が変わります。

「田中」から「田中斬」になったり、「アラジンXXX」が「アラジンXXX2nd」になったり。

 名前一文字でも変えれば売ってOKだったみたいです。グレーだけど。

 

 スパイラル初代から始まり、15世代くらいでほぼハーブ屋はつぶれました。

というか摘発されました。

しぇしぇしぇ~って言いながら犯罪犯したりする人が目立ったからですね。

ハーブ全体の市場で言うと、5世代~14世代くらいの黄金期に私ははまってたわけです。

 

 

次はハーブを通じて知り合った友達、ハーブの切れ目を抑えるために向精神薬を飲んでたら立派なメンヘラになった話を書くよ。

 

こんにちは脱法ドラッグ

煙草も酒も二十歳から。

ピアスを開けるのはいけないこと。

門限は18時。化粧は大人になってから。

タトゥー派手髪、すすきのを歩くなんてもってのほか。

 

こんな家庭の方針で育った私は一人暮らしを始めて簡単にグレました。

髪を染めたことはまあ置いといて、まず最初に脱法ドラッグ

 

煙草より先に脱法ハーブに手を出しました。

初めて元カノが私の家に遊びに来た時、彼女は煙草ではなく煙管を取り出しました。

初めて見た煙管。何やってんだろう。なんかやばい感じする。なんかめっちゃ副流煙がくせえ。なにこれ。

「脱法ハーブ。吸ってみる?」

よし吸おう。なぜかなんのためらいもなく、なんなら期待してました。

ドラッグ、だめ絶対のDVDを学校で見せられてとても憧れを抱くタイプだったので迷いませんでした。

 

そもそも煙草が吸えないのに煙管で葉っぱを吸えるわけもなく、

くさい葉っぱだな~くらいに思って吸いました。

ガスコンロに触れるのも禁止されていたのでライターが怖くて仕方ない。

馬鹿にされましたが私が持った煙管に彼女がライターで火をつけてくれていました。

ライターすら怖かった18歳にもどりたいなあ~~~

 

めっちゃくせえ。むせる。

 

うまく吸えていなかっただけだと思うけど本当に一回目は効果がなかった。

とにかく吸えない。メンソールとかそういう問題じゃなくやばい臭いがする。

実際慣れてもハーブは独特の臭いがあるので吸いづらいです。

 

徐々にはまっていったよ!っていう話を書きたかったんですが、

ぶっちゃけハーブ始めたころの話はそんなに覚えてません。

大学行って時々家に彼女が来てハーブ吸って、

徐々に彼女が帰らなくなって居座るようになった。

ここからが本番。

 

彼女は私の家にいるわけだから、当然持ってきてもらったハーブは吸ったらなくなります。

そんな時に当時便利だったデリバリー。

どこの店もデリバリーでハーブを持ってきてくれます。

怖かったから受け取りは彼女に任せてた(自分で受け取りに行き始めたら人生終わった)。

 

一番少なくて安いものだと0.3グラムで800円。

めっちゃやすい。ありえん。煙草二箱買うより安い。

いろんな銘柄が出回ってた時代だったので、味見にもってこいでした。

第五世代くらいだったと思います。

スーパースネークとかフィーリングシリーズがたくさんあったころ。

 

最初は少量だったしお金もそんなに使う予定がなかったので、0.3グラムで足りてました。

でもやっぱり慣れてくると足りなくなって、1.2グラムとか3グラムのものを買うようになりました。

バイトをしていなかったし、そもそもバイトなんてしたら学業がおろそかになるという考えの実家の元、

私は親の金をことごとくハーブにつぎ込みました。

それでもお金が足りなくなって、危ない仕事に手を出し始めた。

そのへんは後々やってきた仕事編にでも書こうかと思います。

大学入学~一年後に退学するまでに親の金300万は溶かしました。やばい。

 

そんなこんなで簡単に脱法にはまりましたとさ。