保護室入院まじでつらい

前回ODの話をちらっとしたかと思いますが。一度実家でODし、救急車で搬送され、そのまま保護室で薬抜きをされたことがあるのです。何年前か忘れましたがあれは確か正月あけてすぐのことでした。

最初は酒と眠剤を飲んでラリパッパして遊んでたんです。実家にいるのにそれで楽しくなっちゃって、気づいたら一か月分の眠剤フルで飲んでました。当時トリプタノールを結構がぶがぶ飲んでたのでそれが一番やばかったんだと思います。

ODして眠って目を開けたら、知らない天井で、知らない人が私の顔を覗き込んでました。「あ、起きたね」その人のその言葉を聞くと同時にまた意識を失いました。そんな漫画みたいな話ある?って思うけど実話。聞くところによるとそれは地元で救急搬送された病院の医者だったらしいです。

本格的に目が覚めた時、あ~実家でやらかしたなって思いました。腕、腹、脚をベッドにバンドで固定された状態で、尿道にはカテーテル、下着はなくオムツ、腕にはめちゃくちゃな数のぶっとい針が刺さってました。なんやこれ~ってなりました。これをやらかす一か月くらい前にも一人で同じことをしたんですが、その時は眠って三日目で尿意で目覚めました。なのでなんであれくらいで救急車呼んだんって今でも思います。親曰く、昼頃になって起きろと声をかけても目覚めなかったし反応もなかった。全身の力が抜けていて眠剤がなくなっていたから全部飲んだんだと思って慌てて救急車を呼んだ。とのことでしたが、まあそれが普通でありがたい対応だったんでしょうけども、私は構ってほしくなくてやったのに…ってなりました。

 

愚痴はこのへんにして…

結論から言うと保護室での入院は地獄でした。最初の一週間くらいは手足腹を拘束され、トイレにも行けず、ご飯も食べられず点滴で栄養を取りながら血液洗浄っぽいことをされてました。

それが終わったら腹と脚が自由になり、トイレに自分で行けるようになりました。ただ、やっぱり拘束されていたので、トイレに行きたい時は隣のナースステーションに向かって全力ですみませーーーんを言わなければ動けなかったです。トイレの時だけ全身が自由、腕は常にゴムの伸び縮みする拘束具をつけられてました。

ベッドと和式便所しかなくて携帯も本もないテレビもない部屋に一人で拘束されて、あの時ばかりはほんとうにODしなきゃよかったと思いました。

 

あとここで初めてシャブをやってたことが親にばれて(うすうす感づいてたとは思う)面会室で泣かれ、面倒なことになったなってなりました…医者の情報網ってすごいんですね。なんでもメールでやりとりできる時代。

 

薬を多く飲んだって私は死んでないし、いつもどおり用法用量守ればいいんでしょ!って思って頑なに医者や看護師さんと話すことを拒み、以前の病院でまた治療を受けるということでなんとか退院。まったく反省してませんでした。

 

退院した後がまた地獄。

すぐ札幌に戻るなんて親が許すはずもなく、三ヶ月ほど実家でおとなしくしていましたが、卒業したと思っていた実家暮らしがいやでいやでしょうがなくて、援交したりしてなんとかお金を貯めて、三万くらいしか持たずに家を飛び出しました。もちろん親には昼の仕事が決まって寮に入れると嘘をつきました。

事情を話し、風俗店の寮に入れてもらい、1日12時間労働、帰宅即就寝、という生活をしていました。死ぬかと思った。ストレスかもわからないけど何を食べても吐くし、水飲むので精一杯。あんなに頬がこけたことはない。この時が一番変な方向に頑張ってたと思います。

この間元カノもまた自殺未遂で入院していて、私は何通も手紙を送り、メールし、なんとかくっついていました。今はそこで別れておけよ〜〜〜!って思います。

 

入院で特に覚えてるのはこれくらいです。

とにかく、保護室はもう二度と行きたくない。という話でした。